今回は、シドニー日本人学校を特色づけている「国際学級(インタークラス)」とのミックスレッスン(交流授業)のお話です。
なお,今回の記事は「25年前からのパソコン通信」には収録されていません。第2巻に収録の予定です。
さて,SJS(Sydeney Japanese School)では、小学部の各学年に人クラスずつ、オーストラリア人の教師による、オーストラリアの教育課程に基づく教育を行うクラスがありました。1,2組が日本人学級、そして3組がインナークラス。壁一枚隔てて、まったく日本とオーストラリアの教育が行われる世界で唯一の日本人学校だったのです。
机にきちんと座って学習している日本の教室のとなりでは、現地の子供がカーペットにねそべって色鉛筆で何やらかいている、というような風景がみられます。
学年会は、日本人担任とオーストラリア担任で行われますので、英語です。14と41の違いもわからずにシドニーにわたった私も、こうやって否応なしに英語を使わなければならない機会がたくさんあったおかげでなんとか3年経って変える頃にはとりあえず意志の疎通くらいはできるようになっていました。
せっかく同じ敷地に学び、遠足や運動会などいっしょにするのだから、ということで、「交流授業」が行われるようになりました。図工と音楽と体育の3教科だけは、ミックスで授業を行うのです。これは実にすばらしいことのように思えました。赴任当時は。
ところが、一度その授業を経験した途端、それが実はいかに大変なことなのかを思い知ることになりました。
日英両語で授業しなきゃならない
さて、当然のことながら交流授業には英語を使わなけれはなりません。そうでなければ現地の子供には通じませんから。交流授業は英語と日本語を交互に言わなければどちらの子供にも分かる授業にはならないわけです。
Mix Lesson 小学3年生 造形的な遊び「Sydney Base」お互いに協力しあって、「Sydney Base(秘密基地)」をつくる
私は、音楽、図工、体育のうちの図工を持っています。日本ではおもに図工の研究をしていましたので、海外の子供の絵の傾向性を探るのに絶好の機会だと思い、内心喜んでいました。ここにくるまでは・・・。
図工の第一時目は、感じ方や表現の仕方は人によって違いがあるのだから、感じたままにかきましょう、と言ういわばオリエンテーション的な内容でした。
私は一生懸命に授業の流し方を考え、それを英語に訳して行きました。
大まかに言って次のようです。
まず好きなように木をかかせ、それを黒板に張り出してみんなでいいところを見つけ出し、そして「それぞれがいいのだから、自分は下手だとか思うことはないよ」なんて言うんです。
「うん、なかなかいいじゃないか」と思っていました。少なくとも日本ではこれで授業になったのです。
この時にかいた絵を背面黒板に張り出して最初の参観の資料にしよう等とも思っていました。
ところが、言葉の壁はその甘い考えを許さなかった!
まず「Draw a tree what you want」と言ったのです。
日本の子供には「自分の好きなように木をかきなさい」と言いました。
かれらは、「What you want! What you want!」と叫びながらばりばりかきます。感心感心。
なるほど、これが外国の子供の絵のかき方か、聞いていた通りこだわらずに思いっきりかいているな・・・などとおもいながらのぞいてみるとびっくり仰天。
木はかいているがそのよこに「俺は戦車が好きだ」とか何とか言って戦車をかいている男の子、
木なんかかかずに月や星をかいて「きれいでしょ」といってもって来る女の子、
粘土を持ってきて板にしてそれにかいている子。
私はへらへら笑いながら「VERY NICE」というだけでした。
そのうち、「なんだ。こいつしゃべれねえや!」と思われたのでしょう。
集まりましょうと言っても集まりません。
すきなことやって、紙がなくなったらどんどんもってきてかきちらかします。
失敗したら「だめだ~」とか何とか言ってまるめてごみ箱に捨てます。
そして、かくだけかいたらぴゅーと教室にかえってしまいました。(使ったクレヨンもいすもそのまま放り投げて・・・・)
驚きました。日本の子供が偉大に見えました。
たよりないはずの子どもたちが実に強い味方に思えました。言葉で言えば分かってくれるからです。
日本の子たちがもくもくと描いている横で、インナークラスの子たちはいたって自由だ
この初めての授業で私が学んだのはほかでもありません。
結局自分は今まで言葉に頼って教育を行っていたのです。
分かりやすく目に訴えるなどは根本的なことなのにそれをいつのまにか忘れていたのです。
いろいろな木の絵を集めてそれを見せ、「さあ、みんなもかきましょう」と言うべきでした。
教育の根本的なところで、現地の子供に見透かされてしまったのです。
必死に言葉で説明しようとする私に、現地の子供(こいつがまた、ものすごい悪そう坊主!)が私にわからないだろうと思って「I hate Japanese teacher!」と言ったのが印象的でした。
とにかくインタークラスの子どもたちには手をやいた・・
言葉でわからないなら、と黒板にする事をかきこんで見ればわかるようにしておくのだが、従いません。
かいたり、つくったりという活動もいい加減で、まともに作品が仕上がりません。
一生懸命に資料をつくっていって「このようにしたらもっとよくなるね」とよりよい工夫を示唆するのだが、「本当だ。きれいね。でもわたしは面倒くさいから、これでいいわ。」とこうくるととりつくしまもありません。
忘れ物が多く、はさみ、のり、絵の具などの道具・材料類は学校が用意するものと思っています。それで日本人学級の子どもに「貸してくれ、貸してくれ」と頼み、これが日本人学級の子どもがインタークラスの子どもを悪く言う一因となっています。
決定的なのは掃除をしないことです。散らかしたものをそのままにして、さっとかえってしまう。「片づけてから帰りなさい」と言っても、「自分が散らかしたのではない」と言って全くしようとしません。
こういうことが毎時間続き、だんだん参ってくるわけです。
最後はしからなければならなくなり、インタークラスの子どもから「I hate Japanese teacher!(日本人の先生は嫌いだ!)」と面と向かって言われる、という悪いパターンの繰り返しでした。
「交流授業さえなければ、私のクラスの子どもだけならば、もっとこんなこともしてやれるのに・・・]と思うことしばしば。授業よりもしつけの方で参ってしまうのでした。
しかし、自分は図工を専門に勉強してきた教師だと言う自負もありましたので、これでネを上げたらまけだと思い、いろいろと工夫を重ねていきました。材料をたくさん用意したり、おもしろそうな参考作品をつくっていったり・・・。
生活習慣の違いから態度面に出てきているのであって、結局私の指導の方法や内容にかえってくるのです。
それぞれの生活習慣の違いがもろにぶつかりあっているときに、私はいったいどのようにして克服したらいいのか。
インタークラスの子どもは自分の国にいながら、日本人学校の中ではマイノリティであり、交流授業では疎外感を味わっている。これは授業以前の問題だ。
担任のもとの安定した状態からクラスを二分されて日本人学級の中に入ってきているということ自体、彼らにとってはストレスであろう。
おまけに自分たちの生活習慣とは異なったことを要求され、拒否すると態度が悪いからしつけるといって強圧的にされる。
こうやっていつのまにかインタークラスの子供たちは日本人を嫌い、日本人は「インターはだめなやつらだ」と言うような目で見るというよくない図式ができあがっていくのです。
でも、女の子同士はけっこう仲が良い。ビー玉ころがしで交流している二人。
さんざんではあるが、しかし、大切な交流授業です。
「どうしたら、彼らが喜んで授業に参加してくれるか・・・」交流授業の効果はその上で生まれてくると信じていました。
1年の間、毎日のように悩み、考える毎日でした。
前年度担任をしていた日本の子どもたちに送ったお手紙には次のように書いていた。
私は、このインタークラスの子供たちといっしょに図工をします。日本語と英語とふたつの言葉をしゃべりながら図工の授業をします。
だから、なかなかうまくいきません。
日本の子どもにしゃべっていると、インタークラスの子どもがわいわいさわぎます。
インタークラスの子どもにしゃべっていると、日本の子供たちが「先生、先生、わかりません」と言ってきます。
目がまわりそうになりながら、なんとかやっています。
近ごろは、英語でしゃべるのをやめたかわりに、子供たちといっしょに座ってつくったりかいたりしています。
それがいちばんよく分かるようですね。みんな楽しそうにやっています。」
子供たちへのシドニー通信92/10号
1年目の10月頃、赴任以来半年を経、すでに何度となく頭を抱えて悩んだ末のことです。
もう、開き直ってと言うかなんというか、もういっしょに楽しく作ったり描いたりしてました。
今回は、交流授業のお話でした。
言葉が通じないということは授業を行う者にとっては大変なことでしたが、しかし、言葉に頼らない授業を求められたわけで、これはとてもよい勉強になりました。
しかし、やはり授業では言葉は必要とされるわけで、3年間悩み続けたものでした。
日本人学校のホームページを見てみますと、今でもミックスレッスンは行われているようです。
大変ですが、ここSJSでしか味わえない、教師としても多くのことを学んだ授業でした。